弓削商船の野口です。
もう 30 年近く昔のことですが大学院生の時、1990 年 8 月の末から 10 ヶ月ほど大学の交換留学プログラムでインディアナ州マンシーにいました。秋学期が始まってしばらくして生活にも慣れた 9 月のある日のこと、私はやたらとふわふわした乗り心地のパトカーの後部座席に座っていました。おそらくかなりひどい顔をして。
その日は自転車に乗って買物に出かけたのですが、道路の脇の排水溝の蓋の隙間が自転車のタイヤよりも広く、「あれ?」と思ったときには見事にそこにはまって顔面から着地していました。いま考えるともっとひどいことになっていてもおかしくなかったのですが、当時はいまよりもずいぶん体重も軽かったので、前歯が折れて唇が切れただけで、あとはあちこちに擦り傷ができた程度で済みました。それでもかなり派手に転んで目立っていたようで、通りがかりの人が直ぐに駆けつけて救急車を呼んでくれました。日本でも救急車には乗ったことがないなとか、アメリカの救急車って有料なんじゃなかったっけ、などと思っているうちに救急車がやって来ました。
「どうしました?」
「あそこで自転車で転んで歯が折れました」
「他は大丈夫?腕をグルグル回してみて。痛くない?」
「歯以外は大丈夫です」
前歯がなかったので f の音と th の音は出てなかったはずなのですが、会話は成立していました。
「ちょっと待ってね」
救急隊員はそう言うと運転席に戻って無線で何やら話し始めました。
「あのな、このまま救急車に乗っていくとお金がかかるのよ。それでいまパトカーを呼んでもらったから、パトカーで病院まで連れて行ってもらって。パトカーはタダだから」
救急隊員は運転席から戻ってくるとそう言って去って行きました。
こうしてパトカーで救急病院まで送ってもらったのですが、救急病院ではほとんど何も治療を受けないままベッドに 1 時間くらい寝かされ、次に行った歯科医院では麻酔注射を打つ前に歯茎に塗る麻酔に感激し、治療中は “Doesn’t it hurt?” と聞かれて Yes と No を何度も間違え、治療の後は薬ではなく処方箋をもらって医薬分業ということを思い出し、ついでにアメリカの歯科治療は高額だということを身をもって知り、薬局では処方された鎮痛剤で体調が悪くなるかもしれないので服用後 2 時間は人と一緒にいるように言われて疲れているのに夜が更けるまで寝られずと、日本ではありそうにないことだらけの長い一日でした。
これで度胸がついたというわけでもないのでしょうけど、この日以降は先生や友達にも恵まれて楽しく過ごすことができました。留学はいつ行っても有益だと思いますが、個人的には大学院レベルで行ったほうがストレスが少ないように思います。私の場合は学位を取るわけではなく自由に授業を選べたので、アドバイザーの先生と相談して大学院の授業と学部の English 101 という新入生必修の作文の授業を取ったりしていたのですが、新入生の English 101 よりも大学院のややこしい文学理論の授業のほうが教室のディスカッションは理解しやすかったです。いろんな意味で大学院の授業のほうが英語が分かりやすいんですね。また、21 歳以上 — お酒が飲めるということですね — の学生が入る寮で生活していたのですが、留学生が多くて楽しいですよ。私が住んでいたスイートだけでも、タイ、トルコ、イエメン、コスタリカ、パキスタン、アメリカ、日本と出身地は多彩で、リビングやキッチンでワイワイやっていると誰かの友達も遊びに来るので毎日が国際交流の場でした。懐かしいなぁ。
次回のコラムは、阿南高専の小林先生にお願いします。 ※過去のコラムはこちらから