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2018/12/04コラム⑦:私の人生を変えた経験~アメリカ留学はサバイバル~

呉高専の上杉です。

 私は大学3年の時、姉妹校であった、アメリカアリゾナ州立大学に1年間交換留学しました。アリゾナ州に行きたいというのは中学時代からの夢で、理由はズバリ、グランドキャニオンにあこがれていたからでした。
 夢が叶って留学したものの、いざ一人で生活するとなると、不安がいっぱいで、最初の1か月間は極度のホームシックに陥り、寮で毎日泣いていました。
 また、アメリカの授業は日本の授業と形式が全く異なっていて、ついていくのに大変な苦労をしました。まず驚いたのは学生たちが教授と双方向でやり取りしている様子。学生が手を挙げて先生に対して質問や意見を自由に言います。それを先生は前向きに受け止めてくれます。時には授業が始まってすぐ、手を挙げていた学生がいました。何を言うのかと思ったら、「前回の授業の説明には間違いがありました。私はそれを発見しました」と得意げに語るではありませんか。先生は自分を打ち消されてどういう反応をするのかなと思いきや、にっこり微笑んで「ありがとう!」と言うのです。学生のチャレンジ精神と先生の心の広さ。これには本当に驚きました。日本の大学(高専も?)では寝ている学生や私語をしている学生がいます。残念なことですが。でもアメリカの学生は、まず寝るなんてありえませんし、学生間の私語ではなく、先生に対して話しかけているのです。これはすごいなと思いました。
 しばらくして、彼らが手を挙げるには1つ理由があることがわかりました。それは成績の20%がクラス貢献度として評価されるという仕組みです。つまり挙手により意見を述べればそれが成績に結びつくのです。私は全てのクラスでたった一人の日本人留学生で、どの授業についていくのも大変でした。毎回一番前の席に座り、許可を得て全授業を録音し、寮に戻ってそれを聞いて書き起こし、だいたいいつも朝の4時まで必死で勉強していました。しかしそれでも単位取得が危ぶまれる状況でした。しかも奨学金を得ての交換留学生でしたから、1単位でも落としたら、強制送還という身分。ですからこの20%のクラス貢献度を逃してはならず、何とかゲットしないといけないという窮地に立たされたのです。
 そして、留学して1か月後のアメリカ文学の授業で、初めて手を挙げてみました。その時の私の手は震えていました。今でもあのひんやりとした恐怖感は忘れられません。勇気を振り絞って手を挙げたところ、一番前の席ですから、先生がすぐ目を止めて下さり、私を当ててくれました。私はその時とてもつまらないコメントを言いましたが(後でテープを聞いてそれがわかりました)、先生は「Interesting!」と受け止めてくださったのです。この言葉がとても暖かく胸に染みていく感じがしました。
 そしてこの後、思いもしなかったことが起きたのです。休憩時間になったら、クラスの学生たちがわっと私のところに押し寄せてきて「どこから来たの?」「今はどこに住んでるの?」「今度お昼ご飯でもどう?」などと話しかけてきてくれたのです。それまではただ単に同じ教室に座る一人の人間にすぎなかったかもしれませんが、意見を言った瞬間、初めて周囲が私をクラスメートの一員とみなしてくれたのです。
 私は、はっと気がつきました。アメリカでは、意見を共有する精神こそが大切で、それがあって初めて仲間として認めてもらえるのだということを。シャイでなかなか一歩前に出ることができなかった私でしたが、単位取得の危機に迫られたことも後押しとなり、とても大切なことを学ぶことができたのです。特に外国語を身につける、ということは自分の殻を破らなければならないということ、そして自分の意見を他の人と共有する精神があってこそ、コミュニケーションをとりたいという意思を表せるのだ、ということを。
 私のアメリカ留学の生活はこの日、この瞬間を境にがらりと変わったのです。それまでは実際は寂しくて辛くても、表面だけ楽しいふりをして過ごしていましたが、その日を境に仲間ができ始めて、本当に楽しいと思えるようになったのです。
 また、定期試験が近づいてきたときに、私の周りの学生たちが一緒に勉強会をやらないかと私を誘ってくれました。私にとって願ったりかなったりのお誘い。とてもありがたく受け止め、参加しました。ところが勉強会に参加する学生のレベルが高すぎてなかなか理解できず、私がみんなの足を引っ張っているのでは、そして次回から声をかけてもらえないのでは、という不安がよぎり始めました。そこで知恵を絞って考えた私の作戦は、留学生であることをある意味、利用する作戦でした。いつも授業の後先生のところに行って質問したり先生のメモを頂いたりしていたのですが、その先生のメモのコピーを勉強会のみんなに配布してはどうかと思いついたのです。そして作戦は成功!実際にコピーをみんなに配布したところ、みんなとても感激して大喜びし、「今後裕子はぜったい外せない、レギュラーメンバーだね!」と太鼓判を押してくれたのです。私もとても嬉しく、ギブアンドテイクが成立したことで不安が消えました。
 アメリカの授業についていき、そして単位を取得するには、ここまでやらなければいけなかったのです。まさにアメリカの授業は「サバイバル」だったのです。
 結果として、恥もプライドもそしてシャイだった自分自身も投げ捨て、なりふり構わず生き残りをかけた留学生活の甲斐あって、一時は単位取得の危機に陥っていた私が、なんと奇蹟的に全教科A(GPA4.0)を取得することができました。オールAの学生はDean’s Honor List(成績優秀者学部長リスト)に名前が載りました。この嬉しい結果を手にした私は、ポストの前で泣き崩れたのを覚えています。達成感はもちろんですが、何とかして困難を乗り切れたというすがすがしい嬉しさは、私自身の世界観を大きく変えました。
 日本の大学にいたらサバイバルなど感じることは恐らくなかったでしょう。しかしこの留学で苦労し涙した経験は、私自身の人生観をがらりと変えました。この経験が無かったら、今の自分はなかったと言っても過言ではありません。異文化を理解し異なる言語を身につけることの難しさと素晴らしさを経験したこの貴重な日々は、今でも私の中の宝物として輝き、困難にぶつかった時の生き残る力になっています。

 

次回のコラムは、大島商船朴先生にお願いします。

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